過去の傷を手放すということ ー 15年越しにたどり着いた「本当の自由」

人生の中で「もう乗り越えた」と思っていても、心のどこかでまだ痛みを抱えていることはありませんか?

15年前、私は人生のどん底に突き落とされました。最愛の長女を死産で失い、ただでさえ心が壊れた中、義家族の心無い言葉がさらに私を追い詰めました。あの時の私にとって、彼らへ感じていた気持ちを「手放す」なんて、到底できることではありませんでした。

けれど、8年が経ったころ「私が経験したこと」を周囲に伝えることができるようになりました。そして15年が経った今、ようやく私は本当の意味で 「I let go of what hurts me in the past *」 できたのです。*過去に傷つけれられたことを手放して、前に進む(赦す)

これは、私が過去に受けた心の傷をどのように癒し、乗り越えたのか、そして 「感情を手放すことこそが本当の自由」 である!と気づいた話です。

 

人生が崩れた日——最愛の娘の死

初めての妊娠。 初婚で、初めて母になる喜びを感じた日々。順調に進んでいたはずの妊娠生活は、安定期に入って少し経ったころ、崩れ去りました。

それは、妊娠後期に差し掛かるときでした。
腹部の痛みが着たり止んだり、そんな日々が続きました。何度となく担当産婦人科医に電話やメールで相談し、検診時には詳しく診てもらいました。

けれどある晩、かなりの激痛が来たのです。Labor & Delivery Room(分娩室)に電話を入れて相談し、真夜中にER出入口から入り、触診してもらうことになりました。

Labor & Delivery Room(分娩室)に着き、ベッドを割り当てられ、心音を図る装置やベルトを装着し、医師が来ました。エコーの画面を見ると娘がいます。「ほら、お腹の中にいるじゃない」と安心した瞬間、医師の口から信じられない言葉が告げられました。


「赤ちゃんの心臓が止まっています。」

頭が真っ白になりました。信じられなかった。いや、信じたくなかった。


お腹の中にはまだ娘がいるのに、どうして「もういない」の?

「どうして?」 「私のせい??」

どれだけ考えても、なんでこうなったのかわかりませんでした。


私の中にまだ「いる」のに、生きた姿で会うことはない。夢か現実か分からない感覚でした。

それから、周囲の反応が、私の心を深くえぐりました。

 

追い打ちをかけた、心ない義家族の言葉

心の支えが必要な時期に、義家族から受けたものは、喪った気持ちへの寄り添いや「慰め」ではなく、「心無い言葉」でした。


「いい加減、前を向きなさい」
「前を向く」ことと、「痛みを無視する」ことは違います。


「神の計画の一部だから、心に平安を得るわよ」
慰めようとしているのは理解できますが、それ、子供を亡くした人に言う言葉???と思いました。
何より私は、慰めの言葉を求めていません。


「あなたの方がマシよ!だって、生きた子を育ててないじゃない」

言葉を失いました。

これらの言葉が、どれほど私の心を痛めたか、想像つきますか?


さらには、夫の弟の嫁は、私の許可なくこの出来事を周囲に伝え広めました。止めようとしたら「でも、みんな知ってるじゃん!」と開き直る始末。

極めつけは、私たちが購入した “私たち家族の墓” の情報を義母から聞き、自分の夫(夫の弟)に 「そこ(の家族の墓)に一人分空いてるから、死んだら入れば?(笑)」 と、家族がそろうリビングルームでジョークにしたことでした。

その場にいた義父も夫の弟(彼女にとって自分の夫)も、私の夫でさえも、誰も彼女を諭すことはありませんでした。


夫や義家族からすると、夫の弟の嫁は「悪気はない」と映るのです。

けれど、悪気はなくても、言っていい言葉と悪い言葉くらい、分かりません?


この家族の中に、私の味方は誰ひとりいない・・・
私の中で、何かが切れました。

 

壊れそうな夫婦関係と「日本に行けば?」の一言

夫もまた、娘を失った悲しみにひとり苦しんでいました。

きっと私も、夫へ追い打ちをかけていたのでしょう。
私は毎日のように「あなたの家族に、いい加減、私をそっとしておいてくれない?」と伝えるよう、訴えて続けていました。けれど、なかなか伝えない夫・・。

だからこそ、私もイライラが募り「どうしていつも私だけが(義家族の言いたい放題を「悪気はない」と解釈し受け止め)歩み寄り、でもあなたの家族は(私を理解しようと)何もしないの!!?」 「私の気持ちをちゃんと伝えてよーー!」と生々しい感情をそのまま夫へぶつける日々が続きました。

何日か経ってから、夫は私へこう言ったのです、「君、日本に行ったら?」。
は?? え? なんで? 娘を失っただけでなく、なんで夫とも離れないといけないわけ?!?

夫は、連日にわたり「自分の家族へ不満をぶつける私」との関係や、また「私が狂ったように(夫の家族からの心無い言葉に)打ちのめされている姿を見る」のが耐え難かったようです。

というのは、夫にとって家族とは「彼の両親+彼の姉弟+弟の嫁+私」でした。私が最後に来たのです・・。彼の家族も同じ認識です。
私にとっての家族とは「夫+私+これから生まれてくる子供たち」です。

そこからして認識のズレが発生していたので、私たちはかみ合わないことが多かったのです。

夫は「家族の平穏を乱されるのを嫌い」ます。つまり、新参者である私は、夫を含めた夫の家族にとって「異質な存在」でした。
だからこそ「家族に馴染めない私」を一時撤去する形で「日本に行けば?」と提案したのです。私がしばらく日本に行けば “気分転換になるだろう” し、お互い落ち着くだろうとの思いから、だったそうです。


けれど私は、必死に夫へ伝えました、「距離を置くだけでは何も解決しないよ!」

私は、夫と出会うまでの間、人種差別の激しい地域で孤独な生活を5年間してきました。
ようやく幸せを手にしたと思ったのに、新婚時代に待望の第一子を喪っただけでなく、夫婦関係までも(義家族からの心無い言葉で)壊されるの?!

ようやく手にした「幼少期からの欲しかった」ものを、失うわけにはいかない!失ってたまるものか!!

どんなに辛くても、私はアメリカに残り「夫と共に生きる道を選び」ました

その後しばらくして、夫が義母たちに「そっとしておいてほしい」と伝えたことで、ようやく状況が変わりました。

痛みの中で学んだこと

私は、義家族に期待することを止めました。私の事情を知り「分かってもらう」ことをあきらめました。そして適度な距離を保つことにしたのです。

✔ 深い話はしない

✔ 必要以上に関わらない

✔ 何も望まない(期待はしない)

距離を保つことで、私は少しずつ自分を取り戻していきました。

でも、本当の意味で心無い言葉から「解放」されたのは、もっと後のことです

 

「手放す」ということの本当の意味

15年経った今、私はようやく自由になれたと感じます。本当の意味で 「I let go of what hurts me in the past* 」できました。*過去に傷つけれられたことを手放して、前に進む(赦す)

「手放す」って、

✔ 忘れることではない

✔ 無理に許すことでもない

「その出来事を思い出しても、心が揺さぶられない状態になること」です。

私は、ようやくそこにたどり着けたのです。

以前メールレターでも書いたことがありますが、 執着と感情は紙一重。
感情があるからこそ、執着が生まれ、手放せない。でも、感情を手放した時、本当の意味で自由になれる。

この記事を書いていたら、当時の感情が蘇ってきました。でも、もう私の中には「憤り」はありません。

これは 「過去に起きたことは変えられないけれど、それをどう受け止めるかは自分で決められる」 ということを意味している、と思うのです。過去は変えられないけれど、「どう向き合うか」の「今後は変えられる」、一経験者として私はそう思います。

 

あなたに伝えたいこと

あなたは、まだ癒えてない傷や痛みはありますか?

私たちが生きる中で、避けられない痛みや喪失はあります。
「過去の出来事は変えられない」。でも、「それにどう向き合うか」は、あなたが選べる。それをどう受け止め、どう乗り越えるかは あなた次第 です。

「強さ」とは 壊れないことではなく、回復力があること。

  • どんなに打ちのめされても、また立ち上がること

  • どんな困難に直面しても、自分自身のために行動すること

あなたの強さは、 あなたの中にある。

私はこの経験があったからこそ、痛みを知ることができ、人に優しくなれ、心強くなれ、そして「今の私」になれました。

 

もしあなたにも「手放したい過去の傷」があるなら、「それを持ち続ける必要はないよ」って、そっと伝えたいです。

あなたも、あなたのタイミングで、「感情を手放す」ことができる日が来るはずです。それを信じて、少しずつでも前に進んでみませんか?

もしこの記事が少しでも響いたなら、あなたの想いをシェアしてくれると嬉しいです。あなたの心が、少しでも軽くなりますように。

過去の傷を手放し、自分の強さに気づいたとき、本当の自由が待っています。

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「するべき」「しなくちゃいけない」がなくなりホントに楽になった